成廉


成廉の実像

 成廉は呂布軍の猛将だったようである。正史には、呂布が袁紹に迎えられ張燕を攻めた時に、名前が出てくる。呂布は側近の成廉、魏越らと共に突撃し、張燕を破ったのである(呂布ゾウ洪伝)。魏越の名はここにしか出てこないが、成廉はもう一箇所、「武帝紀」で登場する。198年の曹操と呂布の最終決戦での、10月の下ヒでの野戦のくだりである。この戦いで呂布は敗れ、勇将成廉が捕虜になったというのである。この後呂布は篭城し、結局は落城して首を斬られた。

評価

 呂布配下にいかにもいそうな、戦争好きの猛烈野郎という印象である。部隊の指揮よりも、呂布と共に敵陣に躍りこむことを生きがいとしていた・・というタイプだろうか。


戦闘 87 いい加減な数字だが、これぐらいでもいいんじゃ?
知力 24 低くてゴメン
内政 18 内政なんてできなさそう
魅力 44 判断しようがない





魏続


魏続の実像

 最後に裏切って陳宮ら捕らえたことで有名な魏続。ひょっとして、先に「魏越」も彼のことだったかもしれない。『英雄記』によると、呂布と縁続きだったので、高順の軍兵を与えられたのだという。そして戦争では、高順の上に立つことになった。最後は、宋憲と共に陳宮を捕らえて降服(武帝紀)、或いは、侯成、宋憲と共に陳宮を捕らえて降服した(呂布ゾウ洪伝)という。

評価

 呂布の身内の部将。だけど最後は裏切り。マイナスに捉えないと仕方ない。


戦闘 72 呂布の部将なのだから、これぐらいは
知力 49 高いのか低いのかわからない
内政 35 これもただの偏見です
魅力 40 裏切ったんだからこれぐらいにしないと




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